朋の『生きる』②

Road Sun Trees Avenue Street  - Hundankbar / Pixabay

生きたい

人は人生の中で一度は自分という存在や生死について興味を持つ時期があるのではないか思います。

朋も20歳くらいの時になんとなぁく死について想像したことはありました。

ですが、この離婚の前後、朋は【生きたい】【自由になりたい】このふたつを強く思っていました。

特に不自由に暮らしをさせてもらっていたわけではありません。

今から思えば自分を不自由にしていたのは自分でした。

朋はいくつもの顔を作っていました。

妻の顔。嫁の顔。○○くんのお母さんのママ友の顔。PTAやクラブチームの親の顔。仕事の顔。友達の顔。それ以前に生まれ育った家族で末っ子の顔。

ちゃんとその立場をこなさないとと思っていましたし、普通のことだと思っていました。

実は、数か月前に申し込んだ音心さんとルナさんのオンライオンお茶会ではじめてこれは普通のことではないのか?と気づいたのです。

むしろ私こんなにこなさないといけないの、たいへんでしょ?の目線でいました。

破壊と再生。その現実が朋には離婚一択でした。

生きる

3人の子どもを連れて離婚をしたので、転校しないために同じ地域に住み続けました。

ドロドロ離婚だったので、地域中が朋のうわさでもちきりだったと後で耳にしました。

うわさの怖いところは対象のイメージが定着するところだと思います。

朋から波が引くように人は去りました。

朋も人の輪から去りました。

人生で最も困難苦痛な日々でした。

その代わりに朋は自由を手にしました。

行動・決定・子どもに関わることもすべて自分の責任です。

責任は大きいけど、それ以上に生きることを感じていました。

後悔はありません。

ただ、母である私の悪いうわさのために子どもの身でつらい思いをさせただろう子どもたちに対して、親としてもっとできることを考えられていたらと申し訳なく思っています。

離婚によって見えたもの

朋から人は去ったと書きましたが、変わらず接してくれた人もいました。

それまで広く浅くの付き合い方をしていましたが、だれに対しても誠意を持って接してきたつもりです。

だけど、ここで初めて自分が大事にしたい人だけ大事にすればいいんだと思いました。

これも今になってそういうことかと思うのですが、自分の中の余分な荷を下ろし、軽く生きることをはじめたのでした。

仕事もお金を稼ぎに行く場所とはっきりと割り切りはじめました。

要は人間関係は関係ないのです。

朋はこの頃たぶん職場でイジメにあっていたのですが、幸い鈍感なので気付いていませんでした笑

それと人間関係は関係ない=重きをおかないと認識し始めたことも幸いしていたと思います。

そもそもこちとら仕事は死活問題なんだよ笑

離婚後数年間ドロドロが続いていたので精神はすり減り思考がなかなかまわらないながらも、ずいぶん余分なものが自然とそぎ落とされました。

大事なものってほんとごくわずかなんだ

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